Act. 5  フルネーム


 

 

 ぺし、と軽い平手がユフィ…いや、皇女殿下の頭を襲った。

「ナイトメア同士の戦いに生身で乗り込むな馬鹿。危ないだろうが。」

 皇女殿下はどこか暢気な声でいたぁい、と…って、え?ちょっとまって、皇女殿下、だよね?今、、皇女殿下に、えぇぇ?皇女殿下に、軽くとはいえ、平手?

「ちょっと、、皇女殿下に、何して…っ!」

 慌てすぎてほとんどまともにしゃべれていない僕をよそに、はしれっと言い放つ。

「年下の従妹に教育的指導をして何が悪い!それに、私とユフィは身分的に対等なんだけど。」
「へ、従妹?あ、そうか、そういえば…でも、対等?」

 そういえば昔、はルルーシュやナナリーと従兄弟だ、と言っていたのを思い出す。それならば確かに皇女殿下と従姉妹でもおかしくはない。でも、それがどうして対等だということになるんだろう?今日は本当にわけのわからない日だ。裁判はなぜか順調に終わるし、空から降ってきた女の子は皇女殿下だし、あげくのはてに、これ。

 突然、楽しそうな笑い声が聞こえた。振り向くと、ロイドさんがこちらに近づいてきていた。

「混乱してます、って顔に書いてあるよ、枢木一等兵。知らなかったんだね」

 ロイドさんは僕のすぐ横まで来て立ち止まり、を見て微笑んだ。

のフルネームは、・ディ・ブリタニア…彼女はれっきとしたブリタニアの皇族で、現公爵だよ。ねぇ、マイ・レイディ?」

 そしてロイドさんは、とユフィの前でゆったりと礼をとった。皇族に対する、最敬礼を。傍目には、その場にいる皇族二人に対しての礼に見えたかもしれない。でも僕には、その礼はのためだけにとられたもののように見えた。それに、今彼が言ったレイディという呼びかけは、単数形だ。ロイドさんにとって、レイディとは、だけを表す言葉なんだ。

 はその礼に答えるようにゆったりと笑う。会えなかった七年の重みがつまった、僕が知らない公爵としての微笑みだった。呆然と見ているだけの僕を置き去りに、ロイドさんはさっさと立ち上がり、会話は進んでいく。

「まあ、正式なフルネームは・ディ・ブリタニアなんだけどね」
「それを全部言ったら僕は舌を噛みそうだよ」
「私でさえ舌噛みそうよ。それでもこれが私のフルネームなんだから。それにしても、実際に会うのは久しぶりだね、。ユフィ。」
が本国にいらしてくださらないせいですわ。研究がお忙しいのはわかりますが…」
「ごめん。でもちゃんと成果がでてるでしょ?マイ・ランシィ…ランスロットの活躍は見てもらえたと思うけど?」
「ええ、しっかりと。お姉さまのグロースターとどちらが強いのかしら?」
「マイ・ランシィ、と答えたいけど、コーネリア殿下に怒られそうだから明言は避けるよ。ああ、そうだ…」

 の目が、僕を捉えた。固まったままだった僕を可笑しそうに見やって、言葉を続ける。

「スーを…幼馴染を助けてくれてありがとう。スー、彼女が裁判をきちんと行うように取り計らってくれたんだ。」

 僕は慌てて礼を取り直した。これでようやく、ずいぶんとあっさり裁判から開放された理由がわかった。

「お取り計らい、心よりありがたく存じます、皇女殿下。」

 皇女殿下は静かな声で、当然のことです、と言った。夕暮れ時の競技場に、一瞬の沈黙が訪れる。そういえば、さっきからナイトメアに乗っている騎士たちは礼を取ったまま沈黙している。まあ、皇女殿下や公爵殿下がいる前で、うかつには動けないのかもしれない。
 
 さぁて、というの声が沈黙を破って響いた。と、いきなり彼女は礼をとったままだった僕の腕を引いて立ち上がらせる。

「今日から数日間、スーはうちに泊まらせるから。何かあったらうちに連絡をちょうだい。あとロイ!軍も休ませるからね。」
「わかりました」
「しょうがないねぇ、マイ・レイディのおおせの通りに〜。」
「え、ちょ、…いえ、公爵殿下?」

 一応礼に則った呼びかけをした僕に、はにっこり、と音が出そうな、いろいろな意味ですごい笑みを浮かべた。うわ、怒ってるよ。

「今後それ以上公式な場以外で私のことをその敬称で呼んだら蹴る。」
「ごめんなさい絶対呼びません。…でも、の家に泊まるって…?」

 はまったくもう、と言いたげにため息をつき、僕の額をぺし、と叩く。

「自分が発熱してるって気づいてないのかあほ。一人にさせられるかっての。まあ腹に風穴開けられてナイトメアに乗ってテロリストと戦って、

冤罪で捕まって尋問と言う名のリンチを受けてさーらーにー内部分裂ごときでナイトメア同士の戦いを勃発させたどっかの誰かさんたちを止めてたら、いくら体力馬鹿でも熱くらいだすわな!」


 さきほどのものよりも格段に気まずい沈黙が競技場を満たした。皇女殿下は少し困ったように眉根を寄せ、ロイドさんは笑いをこらえているのか口元を引きつらせ、は小さな声で、ざまぁみやがれオレンジ、と呟いている。…そういえば、すぐ横のナイトメアにはジェレミア卿が乗っているんだった。競技場に響き渡るような大声は、絶対に彼にも聞こえている。そういえばロイドさんが、純血派はを嫌ってるって言ってたな…イレブンとのハーフだからってだけじゃなくて、それなのに公爵だから、ってことなのか…ああ、はほんとに誤認逮捕の件に対して怒り狂ってたんだなあ…

 このきまずい沈黙を作り出した張本人は、それじゃ、とその場の全員に対して軽く手を上げ、僕の腕を引きずったまま歩き出した。僕が慌てて、失礼します、と声を上げると、皇女殿下はお大事に、と手を振り、ロイドさんは早く治してねーとのんびり言った。

「もしもし、剣崎さん?私。あのね、幼馴染のスー連れて帰るから、客間の用意をお願いします。…そう、枢木家の。あと、佐藤先生に来ていただけるように連絡してもらえる?数日前の怪我が原因で発熱してるの。…はい、お願いします。それじゃ二十分くらいで着くから」

 携帯でしゃべるの声が、なぜか眠気を誘う。僕の右手につながっている彼女の左手が、ひんやりとして気持ちが良かった。そうか、熱があるんだ。

 の家にバイクで向かう間、は彼女の父が現ブリタニア皇帝の弟だったこと、現皇帝が位を継いだときに彼が公爵位を賜ったこと、そして七年前に彼が亡くなったとき、が位を継いだこと、などを話してくれた。彼女の声は心地よくて、僕は眠りに落ちないように必死だった。

 の家…というかお屋敷に着くと、すぐに剣崎さんが僕らのことを出迎えてくれた。彼女は昔から家に勤めていた人で、僕のことも覚えていてくれた。自分が思っているより僕の具合は悪かったらしく、客間のベッドに入ってすぐ僕の目は閉じていく。が穏やかな声で呟いた。


「おやすみ、スー。よい夢を」


だけど僕は、夢を見なかった。






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12/19/06 First Up

勝手に熱出させましたすいません。捏造万歳。でもあの怪我でぴんぴんしてるのは無理だと思ったので。