Act. 9  曖昧な境界線






 大学に移ってから新設されたネストは、一度だけ見た前のものと変わらず薄暗かった。ディスプレイの青い光とキーボードの連続的な音だけが支配する、のお城。ぎょっとしてしまったのは、僕の手にあるのと同じ皿が空になった状態での手元に置かれていたから。食べたのかな、この、失礼だけど変なおにぎり。

?」

 呼びかけると、それまでやむことの無かったタイプ音がぴたり、と止んだ。静かになったというのに、なぜかとても静謐な空間を壊してしまったかのような、奇妙な罪悪感を覚える。

「スー。どうしたの?」
「ロイドさんが、今日は出動もないし終わりだって。学校に行こうと思うんだけど、一緒に行かない?」

 実は、ネストに閉じこもりっぱなしのを心配したセシルさんに、巣の中に閉じこもっている不健康な小鳥を一羽連れ出してほしい、と頼まれたのだ。ついでに残っていたブルーベリージャム入りおにぎりをお皿ごと持たせてくれたんだけど、これ、どうしたらいいんだろう。

「終わりなの?だから武闘派皇女は手ごわいって言ったのに…じゃあ行くわ。ミレイにも、もっとちゃんと生徒会に参加するって約束しちゃったし」
「そこはせめて、もっとちゃんと学校に行く、って言うべきなんじゃ…」
「気にしない、気にしない」

 は大きく伸びをして手元に目を落とし、あれ、こんなところにお皿がある、と呟いた。無意識のうちに何かを食べるなんて、いくらなんでも研究に没頭しすぎだと思う。

「私、何食べたんだろ」
「たぶん、これ。セシルさんが作ってくれたおにぎり」

 手に持ったままのお皿を差し出して見せれば、は目を眇めておにぎりを凝視した。もしかして、セシルさんの作る料理って毎回どこかおかしかったりするんだろうか。

「…中身、なんだったか聞いても?」
「ジャム。ブルーベリーの」
「…。そういえば、甘かったかもしれない…」

 おかしいって気づこうよ、そこは。








「も、もしかして、ルルが好きなのってカレンじゃなくて!?」
「へ?」

 思わず間抜けな声を上げてしまう。ちなみに今話題に出ている本人――は、学校に入ったとたん物理の先生と思われる初老の男性に半ば強制的に連れていかれてしまった。「この前本国で出たサクラダイトに関する論文についてどうしても君と論議を交わしたくてね!いや、クルルギ君、申し訳ないが君のお姫様をお借りしていくよ!」という言葉と妙に爽やかな笑顔を残し、に口を挟ませないままで。すごい人だな、あの先生。

「だ、だったらどうしよう、そうだよね、ルルとってそんな仲良さそうに見えないのに、たまに妙に分かりあっちゃってるようなこと言うしね、ナナちゃんものことをお姉さんみたいなんですって言ってたし、それってもしかして…」

 さっきまでカレンさんとルルーシュの関係を疑ってたんじゃなかったっけ、シャーリー。とりあえず、アーサーに噛まれた僕の右手はまだ痛い。電話が壊れなくてよかったけど。

「男女逆転祭りの時だって、最後まで渋ったルルをが説き伏せてたしね、あれってなんかいかにもルルはに逆らえませんって感じだったし…っ」

 妙に分かりあっちゃってるのはいとこ兼幼馴染だからだし、ルルーシュがに逆らえないのは昔からの話だよと言いたいけど、それを言うのはどう考えても危険すぎるので却下。

「スザク君!」
「は、はい!」
「幼馴染なんでしょ、と。そこんとこどうなの!?」

 とても必死な形相で問いかけてくるシャーリー。本当にルルーシュが好きなんだな。

「僕が知ってる限り、あの二人が付き合っているとかそういう事実はないけど。ルルーシュがを好きか知りたいなら、やっぱりそれは本人に…」
「だめ!それはだめ!」
「…じゃあ、に聞くとか…」
「はぐらかされちゃったりしたら余計気になるよ!」

 いや、ならはぐらかすもなにも爆笑して否定すると思うけど。シャーリーはまた一人でなにか呟いている。僕は微笑ましくなって、少しだけ笑ってしまった。

「あのね。僕はルルーシュじゃないし、でもない。だから、正確なところはわからないよ。けど」

 シャーリーがきょとん、とこちらを見た。そう、今から言うことは、僕の勝手な解釈。

「あの二人がお互いに抱いてる感情って、きっと僕がとかルルーシュに抱いてる感情と似てるんだと思う」
「友情、ってこと?」

 ううん、と僕は唸る。友情、その二文字で表せるようなものじゃない。確かに僕ら三人が共に過ごしたのはたった一年だった。だけどその一年が、なんと濃く、重かったか。僕ら三人以外には説明の仕様がない、あの一年の全て。

「それが一番かな。だけど、それだけじゃないんだ。僕らは…」

 ああ、こんなにも、僕らの思いを言葉にするのは難しい。

「ただひたすら、お互いが無性に大事、なんだ」

 僕に使える言葉は、たったそれだけだった。いっそありふれた、普通の言葉。それだけで全てを表すことなど到底できないけれど。シャーリーは少し困惑したような瞳を僕に向けた。

「それって、恋じゃないの?」
「…その解釈だと、僕がルルーシュに恋してることになっちゃうんだけど」
「あ、そっか。じゃあ、強めの友情、みたいな?」
「そうだね、それがたぶん一番近い」

 シャーリーは、そっかーじゃあやっぱりカレンなのかなぁ、なんて言いながらまた一人考え込んでしまった。恋をしてるんだな、なんて思いながら、僕はふと窓の外を眺める。空は、まるでの左目のように澄んだ青だった。



 友情と、この思いと、恋。その違いは、きっと言葉よりも曖昧で不確定だ。






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2/11/07 First Up